<メンバー投稿> ベトナム人元技能実習生リンさんの最高裁判所判決を傍聴して
*ベトナム出身の技能実習生レー・ティ・トゥイ・リンさんを死体遺棄の罪に問おうとした裁判を、Sakumagのコレクティブ活動に参加する仲間の一人が傍聴していました。2021年に廃案になったはずの入管法改悪案が、再び国会で審議される中、Wen aka Ayaさんが書いてくれたエッセイをシェアしたいと思います。今まさに、毎日国会前でシットインが行われていますが、署名も行われているのでよろしくお願いします(佐久間裕美子)。
text: Wen aka Aya, edit: motoko
整理券交付締切時刻の直後に、140人の人が傍聴席を求めて並んだと発表された。この裁判のことを自分なりに何かのかたちで書き残しておくことは、44席のうちの1席に座った、わたしの役割のように感じている。そして願わくば、この文章が誰かの目にとまればいいなと思う。
思い返してみると、外国人技能実習制度のことについて関心を向けるようになったのは、ベトナム出身の技能実習生の女性たちを描いた映画『海辺の彼女たち』を観たことがきっかけだった。Covid-19の水際対策で技能実習生の来日が制限され、人手不足に陥った農家のことがニュースにもなっていた頃だ。日本の生産業に多くの外国人が携わっていることはなんとなくわかっていたつもりだったが、それが技能実習制度によるものだということは知らなかった。日本に着いたらパスポートを職場に預けて身分証が手元にない、職場で何かあっても転職はできない……そんなことがあるなんて、と驚きながら少しずつ技能実習生の情報が目にとまるようになった。
妊娠を周囲に打ち明けられず、ひとりで双子を出産、それが死産だったことで死体遺棄の罪に問われた、ベトナム人技能実習生のリンさん(レー・ティ・トゥイ・リンさん)のことも報道当初に気になって、インターネットで記事を検索したり、無罪判決を求める署名をしたりした。いろいろ読みながら、これは個人の問題でないのはもちろん、技能実習制度を取り巻く構造上の問題でもあり、また、誰にも相談できずに孤立出産に至ってしまうかもしれないのは、きっと外国人だけではないだろうから、妊娠・出産に関して女性が置かれている社会の在り方の問題でもあると思った。
2021年に国会前で行われた入管法改悪に反対する緊急アクションをきっかけに、わたしは東京地裁で、難民申請が認められず移動の制限や就労が禁止されている「仮放免」の状態の人たちが日本での在留許可を求める裁判を傍聴してきた。ただ日本で安心して暮したいという願いさえ認めてもらえない人たちがいる一方で、「技術や知識の開発途上国等への移転」という名目で外国からの労働力を確保しようとする技能実習制度が存在することに矛盾を感じた。そして、日本の難民認定率の低さも技能実習制度の問題も根底は同じもので繋がっているとも思った。それは、難民申請者も技能実習生も人間であるという事実を見ないようにしているかのような日本の国家機関による「日本で生きようとする外国籍の人たち」に対する排他的な線引きがあるように、わたしには見えた。
3月24日にリンさんの裁判の最高裁判決が出ると知ったのは前日のことだった。偶然にも午後から有給休暇を取得している日で、詳細を調べると裁判の傍聴は抽選となっていた。それでも行くことにした。もしも傍聴できなかったとしても、多くの人が注目しているということが可視化されメディアなどで取り上げられれば、仮に報道されなかったとしても、少なくとも裁判所に対して人々の関心の高さを示すことに意味がある。それに、わたしは味方だという気持ちを行動で示したい、そんな思いだった。もともと金曜日の夕方に新宿で人と会う約束をしていて、話をしてみたら友人も行ってみるというので、当日は裁判所前で落ち合うことにした。
当日14時頃に裁判所前に着くと、友人は既に到着していた。整理券配布が始まって抽選番号が発表され、わたしが持っていた整理券の番号が呼ばれたとき、この1席は、これまでずっと寄り添ってきた支援団体の人か、もしくは、たくさんの人に情報を届ける手段を持つジャーナリストやメディアの人に託したほうがいいのではないか? という思いが頭をよぎった。何の関係もない一般市民のわたしが、数に限りのある、この席に座ってよいものか……そんなわたしの考えを見透かしたように、一緒に並んで抽選に漏れた友人が「行ってきて、しっかり見てきて」と言った。その言葉に背中を押してもらうかたちで、整理券と傍聴券を引き換えて、友人と別れて裁判所に入った。
地裁のときとは違って、傍聴券、筆記用具、貴重品以外の手荷物は携帯電話、スマートウォッチ等の電子機器類を含め全てロッカーへ預けるように指示があり、その後ボディチェックを受けた。15時の開廷時間まで待つようにと通されたロビーのようなホワイエのような広々とした場所は、あちこちウロウロできる雰囲気ではなく、わたしはソワソワした気持ちのままソファに座って窓の外を眺めて待った。
しばらくして係員の案内で法廷に入り指定の傍聴席に座った。腕時計を持っていなかったので、開廷までどれくらいの時間だったのかはわからないけれど、この判決によってこれからの人生が大きく変わる人がいること、その瞬間に自分が立ち会うのだと思うと緊張して、とても長い時間のように感じられた。裁判官が入廷、報道用の2分間の撮影の後に、判決は主文から読み上げられた。裁判長の口から「被告人は無罪」の言葉が発せられた瞬間、傍聴席に座っていた人たちの息の音が聞こえた。息をのむというのはこのことだろうか。その一瞬の微かなざわめきとほぼ同時に、誰かが「よしっ!」と小さく呟き、また後方の誰かが法廷から駆け出していく足音が聞こえた。
裁判長が主文に続き判決理由を読み上げている間に、なぜか勝手に涙が出てきたけれど、法廷内で鼻をすすりたくなくて我慢した。それは「無罪は当然の結果」だと考えるわたしなりの小さな抵抗だった。妊娠したことが知られたら帰国させられると思って誰にも相談できなかったのは、技能実習生たちが置かれる環境や社会構造の問題で、死産した双子の遺体が寒くないようにとタオルをかけて、二人に名前をつけて、手紙を書いてお祈りして、段ボールに入れて部屋の棚に置いたリンさんの行動は、死体遺棄ではなく遺体安置だから、罪に問われるのはおかしい、訴訟資料を読んでそう思っていた。
これまで傍聴してきた他の裁判の判決では、悔しい思いをすることが何度もあった。だから裁判所は、国側の不利になる判決は出さない、結局は国の味方で公平な存在ではないのか、と司法に対する疑いや諦めのような気持ちを持っていた。だけど、それでもこうして主張が認められることもある。意思表示をすることや声をあげること、行動することはやはり無意味ではないのだなあ、という思いが自分の中に広がっていくのを感じた。
建物から外へ出てスマホを見たら15時08分だった。2歩、3歩、4歩と歩いているうちに、急にザーッと雨が強くなった。折りたたみ傘を広げているうちにびしょ濡れになり、風が吹いていたので傘をさしてもあまり意味がなかった。裁判所に入る前、抽選の直後に誰かが「裁判の後は正門で待ってるよ!」と言ったのを聞いていたので、道なりに正門方面に歩いて行くと人だかりができているのが見えてきた。駆け寄ってみると、弁護士や支援してきた人たちが横断幕と「無罪」の文字を広げて、ザアザア降りの雨に濡れながら報道陣の取材を受けていた。無罪を言い渡したこの判決は時間にしたらきっと5分程度、裁判所にいた時間は短いけれど、ここまでくるのに2年4ヶ月が経っている。この逆転無罪までの間、当事者であるリンさんや、その傍らで寄り添って支援を続けてきた人たちの思いは、きっとどんなに想像しようとしてみても想像しきれないだろうな、とその光景を間近に見て思った。
それから、外で裁判が終わるのを待ってくれていた友人と連絡を取って合流し、それぞれが見たものや感じたことをお互いに報告し合った。雨宿りもしたかったし、一旦落ち着きたかったのでお店に入った。「今日は祝杯ということで……」と飲みながら話をしているうちに、友人の目は会ったことのないリンさんに思いを巡らせて赤くなっていた。それを見てわたしもまた泣いた。ふと、リンさんが働いていた農園の柑橘類が生協にも卸されてたと知ったときに「ひょっとしたらこの間、実家で食べたみかんがそうだったかもしれない……」と、自分との繋がりを感じて急に実感が湧いたことを思い出した。当事者に会ったことがなくても、わたしは「何の関係もない一般市民のわたし」ではなかった。この社会で起きていることは全てが地続きで、自分に無関係なことなんて本当はないのだ。
2023年3月24日金曜日。この日のことを、わたしはきっと、ずっと覚えていると思う。
参考:判決についてのニュース
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