Sakumag 週報 2/14-2/20/2022
今回のニュースレターは、人の姿もまばらなガラガラの羽田空港で書き始めました。報道などを見ていると、岸田政権は水際対策の緩和を検討しているようで、それが実現すれば、帰国後の隔離が大幅(14日→7日の隔離 検査を受けての隔離免除が10日目→3日目)に短縮される見通しといいます。同時に海外からの非日本人入国者を限定的に受け入れることも、1日5000人までと限定的ながら検討しているということなので、もしかすると、このガラガラの空港の姿を見るのも今回が最後かもしれません。
前回アメリカに戻った時(8月末)には、義務付けられた72時間以内のPCR検査に2万円近く払った覚えがあるのですが、今回求められたのは24時間以内の抗原検査の結果。朝自宅から最寄りの検査を受けるべきか、空港で受けるべきかを迷ったのですが、市中で陰性証明を出してくれる検査機関の多数はまだ市中のPCR検査だったことから、羽田の木下グループで検査を受けることにしました。朝起きたらシアトル便の遅延の知らせが届いていたのですが、検査の予約をずらすことができず、実際の離陸の4時間前に到着しました。検査場につくと、抗原検査には2種類あり、義務付けられる検査はエアラインによって違うとのこと。デルタに確認したほうが良いと言われたのですが、カストマーサービスに電話がつながらず、「自己責任で」より精密だという抗原定量検査を受け、30分後に無事陰性の結果を受け取って、無事にチェックインできました。
この間ずっと「出発できなかったりして」という自分を信用できない気持ちと「そうなったらそれもまたよし」という開き直りを行ったり来たりしていたのは、女だけになった実家を、後ろ髪をひかれるような気持ちで出てきたからです。うちの実家には、今までたくさんのイシューがありましたが、父の終末期に妹が家に戻り、父が亡くなってから、これまで口に出さなかったことを口に出し、それぞれのリゼントメントを解消しようというムードが生まれたように思います。コロナ禍もあって外出が減ったこともありますが、女3人でこれだけの時間を過ごしたのは、私が大学在学中に家族がバラバラになって以来初めてのことで、とはいえ、次に帰国したときにどうなっているのかはまだわからず、まだ喪失の傷がかさぶたになっていないような状態で、今自分が去って良いものかと思いあぐねる気持ちがあったのです。
父がいなくなってみると、自分は恐ろしいほど父に似ていたことがわかります。人生の大半を「嫌いだ」「嫌だ」と思っていた人の性質を受け継いでいることに気がつく体験はなかなかにシュールでもあり、これにもっと早く気がついていたら、もう少し仲良くできたのか後悔のような気持ちを持ったりもします。父亡き後、家の男としての役割も、言葉尻をとらえてツッコミを入れ、「ああ言えばこう言う」と言われる役割も、泥酔して帰宅し「酒臭い」と言われる役割も、私が引き継いだようです。何より受け継いだ最大の性質は外面の良さかもしれません。父が最後に務めた会社から届いた寄せ書きに描かれていたのは、選手たちを熱く激励したり(スポーツチームの監督をしていた)、調査を迷わず「英断」したり、部下の背中を押したりといった「人望ある」家族が知らない父の姿でした。その姿の数パーセントでも家族に見せてくれていたらなあ。
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