Sakumag週報 2/21-2/27/2022
モンタナ州ミズーラに降り立ったとき、「戦争は回避できそうだね」という会話を交わしたのもつかぬ間、気がつけば、下手したら第三次世界大戦になりかねない戦争が始まってしまい、多くの人が住処を追われ、先週まで普通に暮らしていた人たちが武器を持って戦わなければならない事態になっているという状況の変化にいまだに少し呆然としています。この世の中で、誰がなんと言おうと好き放題やることのできる立場にある数少ない独裁者のひとりプーチンが、圧倒的な軍備であっという間にウクライナを制圧するさまをどうすることもできずに見つめなければいけないのかと思いきや、想像を遥かに上回る苦戦を強いられて、大恥をかいてはいるけれど、次にどんな狂った手に出るかわからないことが全世界の不安感を増幅させているような気がします。一部の狂信的トランプ派や中国をのぞけば、国際的世論は珍しく、ファック・プーチンで一致していることに希望を見ると同時に、アメリカ大統領選挙へ介入やクリミア侵攻に成功して万能感をたたえてしまったプーチンを止めることができるのか。アノニマスがロシアのメディアや政府のサーバーを撹乱し、いつもぐずぐずと優柔不断なFacbookrやYouTubeもロシア国営メディアの利用制限の措置を取り(もちろんフェイクニュースを流すアカウントが無数に立ち上がっていたちごっこにはなっている)、あのイーロン・マスクでさえ、ウクライナにサーバーを提供する決断をしたの。世界中で人々が「戦争反対」の声を上げ、プーチンが絶対的な権力を持っているはずのロシア国内でさえ、人々が侵攻に反対する気持ちを表明するために路上を埋めつくし、3000人以上が拘束されたといいます。歴史的に中立を貫いてきたはずのスイスでさえロシア関係の資産凍結に参加し、多くの民間企業がそれぞれのやり方でロシア企業/金銭的利益にダメージを与えようというムーブメントに加わっているため、過去の経済制裁よりもダメージが浸透するまでの期間が短くなっているように思えます。プーチンが、第二次世界大戦以降これまで守られてきた国際秩序を無視して、独立した民主主義国家であるウクライナに侵攻したという事実は、私たちの立っている地面を根本から揺るがす行為でもあります。やってはいけないとこととして約束されている違法行為を、圧倒的な軍備を持つ国家がやったとき、国際社会として何ができるのか。国連やNATOの機能不全が指摘されるのは今日に始まったことではありませんが、国境を越えた市場が複雑に絡み合うグローバリゼーション時代にあって、これまで考えられてきた以上の「経済制裁」の形があり、またこういう時こそ消費アクティビズムの有効性の示しどきなのかもしれません。
これだけ白黒明確な暴挙を前に世界が団結している、ということに希望を見出す一方で、同時に人間の闇をまざまざと見せつけられてもいます。罪なき丸腰の市民たちが家を追われたり、暴君に立ち上がるすべのない人たちが無意味な争いをさせられて命や健康を失う危機を前にしても、戦争反対というシンプルなメッセージを冷笑し、黙らせようとする動きがあるのは想定範囲内だとしても、国境を越えようとする人たちが、人種や肌の色によって差別されたり、ウクライナを救おうというメッセージの中に「白人国家であること」や「私たちのような中産階級国家である」というようなニュアンスが入ってくることに言いようのない恐怖を感じます。ヨルダン、シリアやアフガニスタンの苦境、また香港やウイグルの苦境を、白人社会が同じように捉えてくれていたら… 肌の色とはそんなにも大きなファクターなのでしょうか。
👉 西側メディアによるレイシャル・バイアスを指摘するスレッド。
👉 Coverage of Ukraine has exposed long-standing racist biases in Western media(The Washington Post)
こういうことを考えながら、自分の中にあるバイアスに気がついたりもします。日本は愚かな侵略戦争をした、二度とその過ちを繰り返さないと憲法9条を誇りにする反戦教育を受けた自分は、20代で「世界の警官」国家に移住したわけですが、バルカン半島で紛争が起きたとき、911後にアフガニスタンに侵攻したとき、イラクを攻撃したときと、アメリカが海外に派兵する局面を体験してきました。ロシアがウクライナに侵攻を仕掛けた初日は、「バイデン、なんとかしてくれ」と思う自分に気がついてハッとしました。バイデンが、世界の警官としての役割からアメリカを退ぞかせようとしていること、この役割がアメリカの覇権主義を繰り返す効果を持ってきたことを知っていても、です。今回のことが起きたときにすぐバルカン半島の紛争を思い出したのは、白人の男性が長を務める国家で起きたことだったからかもしれません。また、ゼレンスキーが英雄化される中で、その波に乗りそうになってしまう自分に気がつく瞬間もあったし、ファック・ロシアと言いそうになって、ファック・プーチンと言い直すこともありました。ナラティブがシンプルになればなるほど、こういうことに気をつけなければいけないのだと実感しています。
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