Sakumag Letter 11.16.2023
ニューヨークに戻った翌晩、友人のMIHO HATORI(みほちゃん)が、パフォーマンス・スペースでの夜のイベントに招いてくれ、イースト・ビレッジに行ってきました。場所と時間しか知らない状態で現場に行くと、リビングルームを模したセットが組まれていて、ディナーやお酒が用意されていたので、「高級なイベントに呼んでもらってしまった」と一瞬焦ったのですが、アクティビストでもあるシェフのエンジェル・ディマユガが「Living Room Concept」というタイトルでキュレートした食、音、朗読、映像のイベントは、一晩で25ドルという良心的な価格に設定されていました。パフォーマンス・スペースには初めて行ったのですが、誰もがウェルカムというメッセージがそこここに散りばめてあり、さまざまな肌の色、ジェンダーの人がいて、安心なスペースとはこういうものか、と思いました。
海をテーマにしたまったく新しいコンセプトを昇華させたみほちゃんのパフォーマンスに、常に新しいことに挑戦する姿を見せてもらっているのだと感動した後、キュレーターのエンジェルが紹介したのは、ファリア・ロイシンでした。バンクラデッシュ出身のイスラム教徒で、クイアの詩人であるファリアの「Oh Gaza」と題された詩を聴きながら、自分の目からつーっと涙が出ていることに気がつきました。そうだ、私は悲しかったんだ、と気が付くとともに、そこに同じ悲しみを共有し、胸を振るわせている人たちがいるのだということに救いを感じました。
私たちには、屋根があって、水道があって、毎日、お腹いっぱい食べるご飯があって、移動の自由があります。そうしたことをはなから与えられていない人たちがいるいう、しごく当たり前のことを、パレスチナの窮状が、私たちに突きつけています。イスラエル、そしてパレスチナ自治区と呼ばれる場所をめぐって起きてきた過去の衝突と、今回の一連の出来事の最大の違いは、中の人たちがSNSを使って、それを世界に配信していることです。そこに暮らす人たちが、毎日、どういう現実とともに生きているのかがさまざまな形で発信される中、私たちはそれを目撃し、呆然としたり、悲嘆に暮れたり、怒ったり、泣いたり、大きな集合的トラウマを生きているのだと思います(急ですが、今週末、気持ちを吐き出せる場を設定したので、興味のある人は巻末を見てください。
ただでさえ、この世の中は、植民地主義や軍需産業、資本主義が作り出したたくさんの苦しみに溢れていて、集合的ヒーリングが必要とされているのに、さらに国家や軍や家父長精度が、新たな苦しみを倍速で生産している状況に、このところ、私はSNSで言葉を発することに葛藤を感じるようになっていて、それは現状を鑑みるとある種の逃避であり、「逃げてる場合か」という気持ちはあるのですが、この私にとっての安全なスペースで、思い出話をひとつ書きたいと思います。
2001年を振り返る
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