Sakumag Letter 7.17.2024
都知事選挙が終わってからというもの、蓮舫さんへのバッシングが止まりません。多くの方が書いていますが、今追求するべきはたくさんの問題や疑惑を抱える現職の知事なはずですが、なぜ落選して私人になった蓮舫さんを叩くのか。この国のいじめっ子メンタリティや群衆心理によって、これまでも傷ついたり、命を絶ったりしてきた人がいたわけですが、大の大人たち、それもフォロワーがたくさんいる「影響力の大きい」人たちがいじめを先導している姿に、絶望しかけましたが、パレスチナの虐殺に沈黙するセレブをブロックする運動にならって、こうしたいじめっ子たちをどんどんブロックすることにしました。かつては、「見たいものだけ見る」というスタイルは、エコチェンバーとかリベラルバブルに身を置くこととされていた気がしますが、フォロワー数=支持の大きさとされがちな世の中へのせめてもの抵抗です。
同時に、なぜ今回の選挙の”敗因”をたくさんの人と話しています。想像以上に躍進した石丸候補の陣営が、「あえて政策の話をせずに」推し文化にならってYouTubeやTikTokで切り取りをして支持者を増やしたことを見て、じゃあ自分たちが、わかりやすいキャッチーな切り取りを習得すれば良いのか、それはそれで違う気がしていて。
フォローしている弁護士の方のあるツイートを見て、市民による抵抗運動はマイノリティの人権について理解を広めることで、選挙運動はマジョリティを取りにいくことだから同じ手法では難しい、ということを考えていました。なぜ自分が市民運動をやっているかといえば、人口の何%もいないような外国人やマイノリティを含め、誰も取り残さない社会を目指しているからであって、となると、日本の首都の首長選挙に勝つことよりも、選挙でない時に、誠実に政策や生活の話をすることが必要なのではないか、それはまわり道、遠回りかもしれないけれど、自己矛盾を抱えないためには、それしかできないのではないか、という気持ちになっています。
私自身、今回の選挙で、やはり自分はマイノリティなのだと自覚をし、改めて考えてみると、自分が文章を書いて語りかける相手は、この世の中に難しさや生きづらさを感じる人や、マジョリティではない人たち、大部分が大企業や大資本に支配される世の中で、メインストリームではない生き方をしている人たちなわけで、マジョリティを取る闘いに「負けた」からといって、へこんでいる場合ではない!とも思うのです。
もうひとつ強く思うのは、やはり私たちが生きる社会は、あくまでもお金が一番物をいう場所なのだということ。この世の中の大多数の人はお金があるほうに流れるし、そうした社会を脱却できると考えることも難しいだろうということは、この大都会を歩いてみるとすぐにわかります。
先日、勉強会に来てくださったこくぼひろしさんとは、そういう観点を共有できた気がします。ひとしずくという会社名の由来には、他の動物が逃げた後も、少しずつ水を口に含んで火消しをしようとするハチドリのストーリーがあって、たとえ私たちがやっていることは焼石に水でしかなかったとしても、ハチドリの数を増やせたら、もしかして山火事を消すことができるのでは?という気持ちにさせてくれました(こくぼさんの勉強会のアーカイブは、あと1週間ほど販売します)
自分自身、このお金社会の中で、大企業にも大資本にも依存したくないけれど、自分が価値観を共有できる人たちとだけお金を交換して生きることはとても難しく、そこには相変わらず大きな葛藤があります。
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