Sakumag週報09/05-09/12/2022
久しぶりに今回の週報は森の中からお届けします。
日曜日の朝は、沖縄で行われた数々の選挙の結果にドギマギしながら起きました。玉城デニー知事の当確に目を覚まし、その後、遠くから応援していた上原カイザさんの県議補選当選にほっと胸をなでおろしました。県議補選は、糸数みきさんという組織の支援を持たない子ども支援の専門家で、「中立」を標榜している方が健闘し、自民党候補と賛成党候補が下位という結果を見て、さすが沖縄、羨ましいという気持ちもありつつ、現場に近い人たちからは、今回は勝ったものの未来は楽観できないというような空気を感じました。
日曜日は、用事があってキングストンまで片道1時間ほどのドライブをしたのですが、途中、通過した橋に巨大な国旗がかかっていました。そこで、その日が9月11日であることを思い出しました。
ツイッターのタイムラインを開くと、911関係の振り返り動画が大量に流れてきます。瞬間的に思ったのは「しんどいな」ということ。そして、初めて気がついたのは、自分がこれまで21年間、「しんどい」と思わないようにしてきたのだということ。
21年前のこの日、私は報道機関でリポーターとして働いていて、前日にハネムーンから戻り、早朝に起きて歯を磨いているときにかかってきた電話で事件を知りました。まだスマフォはなく、ケーブルテレビでニュースを見ていた時代です。テレビを点けると、片方の塔に飛行機が突っ込んでいるのが見えました。半ばパニック状態で職場に電話をすると、電話に出た人は間延びした声で「市場は普通に開いたみたい」と言いました。とりあえず出勤しようと駅につく頃には、地下鉄は運行を見合わせていて、どうしようもないので、そのまま家にとんぼ帰りし、その後はひたすらテレビの画面を見つめていました。数時間が経って、ようやく、自分の友人がそこに働いていることを思い出しました。電話回線はパンクしており、そこからしばらく、ひたすら電話をかけ続けましたが、友人と電話がつながったのは夜になってから。現場からはなんとか生きて抜け出したけれど、婚約者との連絡が取れないとのことでした。
当時、日記をつけていなかったので、詳細はかなりファジーなのですが、そこからしばらく、毎日トイレも行けない勢いで仕事をしつつ(まんまと膀胱炎になった)、さらなるテロ行為を懸念しての防災訓練をさせられたり、時には、炭疽菌らしき白い粉末が職場に届いて実際に避難したり、常にパスポートと財布を自分の横に起いた状態でとにかく強烈な環境の中を生きました。あの時、会社というもののあり方に疑問を感じたり、自分が友人の捜索に加われないことにふがいなさを感じたり、自分は報道や会社員に向いていないと悟ったことが、その後の自分の人生の選択を決めたことは間違いありません。
その時していた仕事のせいもありますが、自分は911に関して、常に「当事者ではない」という気持ちで向き合ってきました。ニューヨークにいた、その渦中で仕事をしていた、という意味では当事者性も持ちつつ、自分のそばに、人生を根こそぎ覆されるような影響を受けた人がいたことが大きかったかもしれません。事件のあと会社を辞めてから、かなり何年もにわたり9月11日にラジオ出演してその年の様相を客観的に話す、ということをやっていました。
こういうことがすべておわり、去年はようやく20周年の節目を通過し、今年、たまたまこの日が、自分が森で少しスローな生活をしている時にやってきたことで、初めて自分は「ああ、あの時はずいぶんしんどい思いをしたんだな」ということに気がつくことができた気がします。
思い返すと、あの頃の25歳の自分は何も知らないあかちゃんのようなもので、社会というものの中で自分がどう生きるべきかを知らずにいたし、いろんなことを吸収してしまう思想の危うさがありました。今、あのとき、アメリカのレトリックに惑わされかけた自分を、甘酸っぱさと苦味が混ざった気持ちで思い出したりもしています。
ここからはコラム形式でお伝えします。
911追悼の意味
カリフォルニアのファストフード賃金アップとニューサム知事
労働力不足とコロナ後遺症
「保守」の売国
再掲載という出版週間
クイーンの死と歴史修正とマーメイドの色
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